オーナー
芝原 陽一郎
・兵庫県姫路市産まれ
・両親、姉、犬が居る地域では有名な中華屋の長男として生活。
・近隣には川や山があり、幼少期から自然と触れ合いながら身体を使って遊ぶ。
・小1で両親が離婚。父と祖母、祖父と4人での生活が始まる
・小3からジャッキーチェンに憧れ強くなる事を夢見て空手を始める。
・小5で体重65キロのデブとなるが、力強さだけは保ち、当時のパンチングマシーンで大人が平均80キロを出す所を120キロ叩き出し周囲を驚かせる。
・中1で思春期に入り75キロになる。
またK-1が始まり格闘技熱に更に火がつき、
デブのままじゃ駄目だと思い立ち、極端な食事制限と運動で約2ヶ月で20キロ減。
・同時期にゲームのキャラに憧れ片腕だけをデカくする為10キロダンベルを買ってもらいトレーニングを開始する。
・中2。祖母が亡くなり、祖父も施設へ。父と2人暮らしとなる。
・中3になる頃には腕相撲では大人相手含めて負けなしの存在となるが、陰キャなため目立った動きは無かった。
・受験シーズン含め勉強は一切しなかった為偏差値27だった為1番頭の悪い私立校も落ち他に行ける高校もなかったが、身体を動かすことが好きだったので、先生から試しにと勧められた農業高校(上郡)を受験すると合格した。
(後に先生から、市外から来る生徒は全員採用した。お前はテストは全部酷かったと言われる笑)
・学校の勉強は相変わらず出来ないが、農業科という事で野外授業がかなり多くそっちは全力で取り組む。ここで知らずの内に食育を経験する事が、現在の仕事や考え方、死生観の捉え方を構成する基盤作りとなる。
・高1の冬から不思議なご縁で自宅にはほぼ帰らず友達の家で寝泊まりする生活が始まり、高校卒業前まで続く。
・高2からプロレスゲームにハマり、就職活動を見据えた疑似面接などが学校で始まった時に、「プロレスラーになるので大丈夫です。」と言い周囲の人を呆れさせる。
他にもカッターナイフの刃を噛み砕いたり、拳を作るといい生の木を殴り続けたりと多くの変質行動が目立った。
・高校卒業した次の日には、東京へ行きアニマル浜口ジムへ入門。
ただ一年経たずして地元へ帰ってくる。
この頃同期だった鷹木選手とは現在も付き合いがある。
「健康と感動を通して笑顔溢れる地域作り」
を掲げ、関わる方が望む未来を手に入れるお手伝いをしたいという想いでお店を立ち上げました。
またセラピスト側は「治す」ではなく、
「お手伝いをする」という考えは、
「治す」のはご本人でしか出来ないから。
「治る」為には原因を明確にして、
「身体・心・環境」この3つを変える事が重要になってくるから。
ご本人が本気で治したいと考えたなら、これらを変える為にセラピストが施術やカウンセリングを通して気づきやきっかけを与える事で、必ず変わります。
逆に自分の問題なのに、機械を直すかの如く他人任せにしている人は、変わらない。
そういった本質的な気づきを得て貰いたいが故にお店を立ち上げました。
・やりたい又は自分が出来る立ち位置
→リラクゼーション以上整体未満
→治療は出来ないし、しない。
→予防医学における第一次予防の段階での、病氣や怪我などの健康問題を未然に防ぐためのアプローチを行うことを目的に行う。
→40代を過ぎてから疲労を感じてきている男性
・トライズが提供出来るベネフィット
→定期的カウンセリングを行う事での、WHOが提唱する健康定義としての「身体・心・環境」へのアドバイスや評価
→肉体的疲労感覚の軽減
→関節可動域の評価や低下した部位の可動域向上
→押圧に意識を向ける事での瞑想効果による心の鎮静化
→一時的な下降性疼痛抑制
→部分ストレッチ効果
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